episode #002 いちご事件

小さい頃から随分と長い間
心にガラスが刺さっているような痛みのある思い出がある

私は自分でそれを「いちご事件」と名付けていた

私は 子供のころ、幼心に
自分が自分でいられるある一定の枠のボーダーラインを
超えてしまうことがあることに気づいて悩んでいた

人に傷つけられたと感じたり
自分がじゃけんにされたと感じると
自分の存在自体を否定されたような感覚になり
とてつもない不安と怒りに襲われるのだ

自分の中に抑え込めない違う人格があるような不安と
いつも戦っているような感覚だった

3歳くらいの頃 なぜか私は自分のことを
「やっこ」と言っていた。
多分口が回らなくて 「まさこ」 とちゃんと言えなかったのだろう

ある時、台所で母が ガラスの器に いちごを盛り付けていたのを発見した
いちごが大好きな私は はしゃいだ

詳しいことはあまり覚えていないのだけれど
おそらく母は「これはパパの分だからだめ」 というようなことを
言ったのだと思う。

自分の分がないなんて!? 
今思えばそんなはずはないと思うけれど
その時、私は たかが いちごで ものすごく取り乱し

「やっこのいちごがない!」

と全身で怒りをぶちまけた。

そのあと母に何かを言われ
(何を言われたのかは 全く覚えていない)

それが引き金となって 私は怒りに負けて いちごの器をばあん!と 手ではらってしまった。

その瞬間のことは よく覚えている。。
スローモーションのように いちごは器ごと床にたたきつけられ
ガラスの器も ガシャーン!と音を立てて割れた。

ガラスの器もいちごも全部ダメになってしまった。

落ちていくガラスの器が割れる瞬間は それがまるで自分の身に起きたことのように感じ
私は自分の手で 自分を壊したことに 恐怖と自責の念に襲われた。
大人になってから考えてみれば
大したことはないはずの 日常の出来事にも関わらず
その時の鋭い痛みの感覚は 今でも思い出せるほど 強烈だった。

それから時々 いちご事件を思い出すたびに
心の中に突き刺ささるような感覚が呼び覚まされ
子供の頃は、ふと、いてもたってもいられなくなって、わあああああああ!!!!!っと叫んで
発狂しそうになるくらい苦しんだ。

思い出すことすら怖くて いちご事件は、ずっと思い出さないように
心の蓋をするようになっていた
お母さんに あの時ことを いつか謝らなきゃ、、とは思ってはいたけれど
恐怖に負けて 誰にも話をすることはできなかった

私は自分がいわゆる「キチガイ」になってしまうのでは?
普通の子供ではない、異常な子なのではないかと思い
そのことを人に知られてはいけないという気持ちもどこかにあった。

おとなになってからも 随分時間がかかったけれど
結婚したことがきっかけで 自分を少し客観視できるようになり
精神的に落ち着いて やっと、あのわけのわからない痛みと向き合う勇気が持てるようになった

ある時、実家に帰った時に 勇気をふり絞りつつ さりげなさを装って
ドキドキしながら 母に いちご事件の話をした。

「あの時は本当にごめんなさい」 と やっと母に謝ることができた。

すると、、母は

「へえ そんなことあったっけ?」

「え、覚えてないの?」

拍子抜けだった。

本当に母は全く 記憶にないようだった。
母に謝らなければと長い長い年月悩んだあの苦しみは一体なんだったんだ?
私ってバッカみたい。

帰ってから「いちご事件」のことを旦那に打ち明けた

「それで私さぁ、子供の頃 怒りんぼだったみたいなんだよね。
実家に私が子供の時に描いた絵があってね、
その裏に、パパが まさこはおこりんぼだから なおそうねって書いてあったんだよ」

「こどもは みんな おこりんぼだよ」

旦那の一言に 何かが込み上げて泣いてしまった
そうか 子どもはみんな 必死で生きているだけなんだ

私は一つ自分を許して 一つ壊れてたところを治すことができた気がした

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